「商売人は下を向いて歩け。」先代は言いました。
1858年幕府とアメリカ総領事ハリスとの間に日米修好通商条約が結ばれると翌年の横浜の開港に向けそれまで小さな漁師町だった横浜村を多額の資金を投じて開発し国内の商人を誘致し街づくりを行いました。
貿易が本格的に始まると外国領事たちが横浜の領事館と江戸の公使館との往復を馬車で頻繁に行ったことが馬車道の由来です。
明治初期には馬車道から本町通りにかけて日本で初めて約300基のガス灯が設置され、また日本初のアイスクリーム屋や写真屋が開かれるなど馬車道はまさに文明開化の最前線の町として栄え、その面影は今日に至るまで人々を魅了しています。
そして開港から31年後の明治23年大日本帝国憲法が公布された翌年、国民が近代化という開花期に熱狂し昂揚する激動の時代に履物屋「今井のはきもの」として馬車道で創業しました。
時代の変化にあわせ提供する履物も変化させ、横浜を中心に店舗を展開し人々の足元を飾りました。
それから現在にいたるまで、業種を変えながら「馬車道という地での商売」にこだわりを持ち続け、馬車道を代表する老舗会社という誇りを持ち、現在では革の専門店としてその歴史を刻み続けています。
ご来店頂ければ必ず運命の一枚との出会いがある。
素材からお選び頂いた「最高級の素材」を「最上級技術」で妥協なく、誰とも被らない世界に一点を仕立て上げます。
使う程に味わいが増し、愛着の湧く後世に受け継がれる逸品。
安価な値段先行の物創りが当たり前になってから革業界は衰退の一方。
日本の古くからある革業界、鞣し染色工場、町工場の技術者。
本当に素晴らしい技術を持っているのに売り手側から低工賃を強いられるから希望する若い人もおらず続けられない。後継者もいない。やめざる負えない技術者達。それが今の革業界の現状に思います。
私たちは職人の賃金を値切る事は一切いたしません。
馬車道今井が今取り組んでいることは適正価格で安定して販売し正当な対価を職人に支払う。
必要経費を請求して頂きそれを元に販売価格が決定していきます。勿論それぞれの職人には最高のパフォーマンスをして頂きます。
そしてその価値の分かるお客様に丁寧にお仕立てした作品を一点一点お買い上げ頂くのです。私達今井が目指すものは革業界の地位向上、業界全体の底上げです。
商売人としての信条は、お客様とのご縁を大切に常に夢を持ち、自身がワクワク感を抱けるファッションの提供です。
そして今井を馬車道ブランドとして、馬車道と共に発展させてく所存です。